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筑波大学ギター・マンドリン部同窓生のコミュニティ・サイト

福富康夫 ブログ

創設者  取得学位:理学士、医科学修士、医学博士(生物系)

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2枚組 記念CDの解説 <DISC 2 JS バッハ選集> 2022年5月

 JSバッハ(1685-1750)についても、多くを語る必要はないと思う。ギター好きの方ならSLヴァイス(1687-1750)のことはよくご存じと思うので、この場では割愛させていただく。しかし、ギターでよく弾かれるバッハの作品を演奏するうえで、特にヴァイスの作品は外せないと思う。両人ともバロック時代を生きて偶然にも同じ年に死去。ドイツ生まれで、ヴァイスはリュートの達人で、作曲・演奏ともに素晴らしく、バッハも一目置いていたらしいとなればなおさらである。

 そこで、ヴァイスの代表的な曲をまず演奏して、その後、バッハを続けて演奏するというアルバム構成にした。組曲を一つ、全曲入れて、あとは、あの壮大なシャコンヌを最後に持ってきた。今までこのライブは1983年に録音されており、ノイズの多さが目立っていたが、この度再考し、ノイズを削除した。その結果、各音が明瞭に聴こえるようになりバッハの音楽が究極の対位法で作曲されているのがよくわかる。結局のところ、演奏者はその時その時で体調も違うし、感覚も違うかもしれない、スケールを早弾できたとしても、解釈により極端に強弱をつけても、品がなくなり、自分勝手な演奏となってしまう。BWV1006aのプレリュードを編集しながら思った。弾き終わるまでに5分以上かかっていて若いころの録音は4分半であった(1991年録音)。相当なスピードダウンである。これは実際に聴いてみると相当違う。どちらがいいかはともかく、2001年の録音は重厚さを感じる。BWV996のプレリュードは自由に即興性をもってなんて思って演奏しても、あとでレコーディングを聴いてみたらがっかりということもある。ライブ録音は聴衆と演奏者の勝負の場であり、その雰囲気がきちんと記録されているかが重要だと思う。少なくとも通常のスタジオ録音ではきちんと節度を持って演奏すべきっと思っている。


 最近、いかに無心で弾けるのかというのが、結局バッハの音楽を表現するのに必須なことと思うようになってきた。あの恰幅の良い肖像画を見ると、男性的などっしりと構えた演奏をすれば、曲の解釈云々を論じることなく、バッハを再現できる、そう感じるようになってきた。音色に変化をつけてなど余計なことを考えて楽曲をいじりすぎた演奏をして、また、聴いて疲れるようでは音楽とは言えない、自然に弾いているのが一番、聴き終わった後でもう一度聴いてみたい、そう思いたくなるような演奏が一番、と近年、思うように体が動かなくなって感じるようになった。その点については、一生に一度だけ弾いた最後のシャコンヌはある程度満足した演奏であった。

2枚組 記念CDの解説 <DISC 1 スペインの曲集> 2022年5月

1. G.サンスのエスパニョーレッタ

 スペインバロック時代に活躍したバロックギター(5コースの弦を張ったギターで現代の6弦ギターと音色など大きく異なる。)の名手兼作曲家である。シンプルなメロディーの掛け合いが、演奏者が現在使用している故楽器に近い現代ギター(I.サルバドール、ヴァレンシア、19世紀末製作、トーレスモデル)の音色とよくマッチしている。スペイン音楽のギター演奏会がこれから始まるという時、アルバムの一番目の曲としてふさわしいと思い、そして、病気から回復してギターをまた弾けるという喜びに満ちた演奏。一音一音の響きを感じながら弾いているのがよくわかる。

2. F.タルレガのアルハンブラの想い出

 タルレガ(1852-1909)は現代ギターの父と呼ばれている。トーレスという有名な製作家(1817-1892)のギターを用いてギターを弾きながらクラシックギター芸術を創り上げた。しかし、当時はまだギターの作品(ここでいうギターという楽器は、現在、我々が弾く一般的なサイズ弦長650o程のモダンギターのことを指していて、いわゆるクラシックギターであり、それまで一般的であった小型の19世紀ギター、ピリオドギター、もしくはロマンティックギタ―、オールドギターともいう)が世界的に広まる時代ではまだなかった。当時、スペインではこの名手の存在は広くしられていて、ピアノ演奏家でもあったことから、同じ時代を生きていたアルベニスの曲(後述)、さらにはショパンやバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタから抜粋した曲などをギター用に編曲して演奏していた。一連の作品中、オリジナル曲、「アルハンブラ(宮殿)の想い出」はあまりにも有名である。あえてここで説明する必要もないと思われるが、演奏者が高校生のころから長年弾き続けてきた愛奏曲の一つであることは演奏を聴けばよくわかる。トレモロの粒がそろっているのは勿論、リズムを刻む低音の歌い方といい、ないがしろにされがちなトレモロのメロディ中に時々現れる3連符の「こぶし」の部分の正確な演奏を聴けば納得である。

3. フェレールのタンゴ第3番

 ギターを習い始めて初級から中級最初よく弾かれる曲。タンゴの2拍子独特のリズムが出せるかがこの曲を弾くときのポイントである。

4.5.6.7. アルベニスのタンゴ・グラナダ・カディス・コルドバ

 アルベニスはカタルーニャ生まれのスペインの作曲家・ピアニスト(1860 - 1909)であり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られる。ライプツィヒの音楽院で短期間学んだ後、ブリュッセル王立音楽院に進んだ。後期作品として「イベリア」が有名であるが、中期に作曲した曲がギター用に編曲され演奏会でも取り上げられる機会が多い。ここでは「エスパーニャ」からハバネラ風のゆったりとした2拍子のタンゴが弾かれている。また、全8曲からなる「スペイン組曲」であるが、半分の曲はもともと組曲中に存在していた4曲にアルベニスの没後に出版社が他の作品から追加して同組曲の曲としてとして発表された。これらのうちいくつかはタルレガやリョベート(1878-1938)、セゴビア(1893-1987)などにより、ギター用に編曲され演奏されてきた。スペイン各地の地名が、曲想に合わせてつけられているが、アストリアスなど(プレリュードと別名がありどちらかというとこちらの名前のほうがしっくり合うと思われる)なじまないのもある。本人の死後、楽譜の出版社が勝手に命名したことが原因と考えられている。このCDでは、タンゴ、グラナダ、カディス、コルドバの4曲が収録されている。ギタリストの間で有名なアストリアスは当然演奏者も若いころより弾いていたが、レコーディングをしたいと思ったときは、すでに病気を患ってしまっていたので残念である。グラナダは副題としてセレナータとあり、郷愁を誘うような旋律が美しい。中間部も素晴らしく、最初から、ギター用に作曲されたような錯覚を起こす。カディスは大西洋に面した港町で、三拍子のリズムが低音で刻まれてその上に旋律が奏でられ、まるで船に乗って揺られている気分である。中間部の歌は船乗りが町の中で歌っているような雰囲気があり港町がイメージできる。コルドバはスペインの街の風景を連想させる。スペインは歴史的背景からイスラム建築とキリスト教会が混在しており、イスラム建築で有名なアルハンブラ宮殿はグラナダにある。コルドバも同様にモスクなど有名な建造物があり大聖堂などが歴史を感じさせる。アルベニスのコルドバは名曲の一つであるが、演奏が難しく二重奏で演奏されることが多い。あえてソロで学生時代に挑戦した。高音部と低音部の各旋律の対比が美しく、ユニゾンで旋律が奏でられた時は、圧倒的な迫力である。また、ピアノでは表現が難しいラスゲアードと考えられる箇所は、二重奏でもソロでもギターで弾くときは一般的には“そのように”弾かれることが多いが、本演奏では6連符のアルペジオで弾かれている。演奏会直前まで弾き方を悩んでいたが、前年に弾いたシャコンヌのアルペジオ部分の演奏にてフォルテッシモでラスゲアードに負けずに弾けるという可能性を見出していたので試してみた。また、譜面の一部読み間違いで三連符の部分、リズムの取り方に誤りがあるが、それを凌駕する全体の雰囲気の良さがあったので本アルバムに加えた。アルベニスの四曲中最初の二曲は米国長期出張中に、滞在先でラジカセにて一発どりで録音、そのままのちにテープ録音機からダイレクトにデジタル録音機に録音して得た音源を用いている。アナログテープの柔らかさを感じて、ノスタルジックな演奏になっている。 

8.9.10.11 F.タルレガ/ラグリマ・前奏曲第三番・メヌエット・アデリータ

 グラナダを弾いたときはアルベニス本人が「この編曲こそ私が求めていたもの」と言わしめた。タルレガの作品には特に晩年には小品で素晴らしい曲が多く、とくに有名な曲は、ラグリマである。本演奏は2006年に鹿児島のみやま小ホールで行った。この日は一日かけて朝から夕方まで弾きっぱなしでレコーディングを行っていた。目的とするレコーディングが終了して、最後に気楽に引いた曲の中の一つである(メヌエットも同様)。一日弾いていたおかげで楽器が素晴らしく鳴っていたのを覚えている。アデリータもよく弾かれる。副題にマズルカとありその曲のイメージで弾けば、その曲のイメージとなろう。弾きやすそうで弾きにくいというのはタルレガの曲一般に言えることである。歌う心が必要である。前奏曲第三番は発表会でのライブ録音。ポルタメントを多用したかわいらしい曲である。

12. バリオスの森に夢見る

 バリオスは作曲家兼ギター演奏家として19世紀後半から20世紀前半に活躍したギタリストである。しかし、南米のパラグアイ出身で活動域から考えると、世界的には活躍できなかったが、それが「伝説の人」を生んだともいえる。セゴビアがバリオスの演奏を見て聴いて演奏法を習得したとか、バリオスが初めてリュート組曲BWV996を弾いたという話もある。バリオス自身の作品も数多く残されていて、日本では全音から4巻にわたって出版されていて馴染みの多いギタリストも少なくない。しかし、バリオスの音楽とタルレガの音楽の決定的な違いは、タルレガが当時のヨーロッパの西洋音楽を土台にギター的な響きを効果的に表わせるような作曲をしていたのに対し(これにはトーレスのギターを弾いていたことが大きく関わっている)、バリオスは、土着の音楽を発展させる形で作曲している関係で、ギタリストが弾きやすくなるような指使いの作品が多い。「森に夢見る」はバリオスの作品中、トレモロの作品としては大作に属する。トレモロ部分が始まる前のイントロ、中間部と、トレモロの長い旋律がイントロを演奏後の前半と中間部の後に配置されている。確かにアルハンブラの想い出のような洗練された旋律ではないが、曲の題名にあるような感情表現が豊かな曲である。

13.14. カタロニア民謡からアメリアの遺言、聖母の御子

 カタロニア地方はスペイン南部に位置し、フランスに隣接する地方として、独特の文化を有する。カタロニア語を話しスペイン国ではあるが、独特の民謡も歌われている。地中海の温暖な気候に恵まれて人々の暮らしも豊かである。その中ではぐくまれてきたCatalonia民謡の旋律は美しくここで弾かれている二曲はリョベートが編曲した版を用いている。

15. Eグラナドスのスペイン舞曲第五番「アンダルーサ」

 グラナドス(1867-1916)はアルベニスと同様、スペインの国民学派でありピアニストである。第一次世界大戦中に乗っていた船がドイツの潜水艦の攻撃を受けて49歳の若さで命を落とした。作品は有名なものにピアノで演奏される「12のスペイン舞曲」があり、その中でも、特にこの五番「アンダルーサ」がよくギターで演奏される。調性もホ短調でギターで弾きやすい。二重奏でよく弾かれる曲が東洋的な雰囲気を醸し出す第二番の「オリエンタル」、牧歌的な第四番の「ビリャネスカ」であろう。演奏者は特にこの五番の演奏を好んでいる。アルバムの最後を飾るにふさわしいと思い選曲した。

見えないものが見えるということ

 脳に作用する薬剤治療を受けている人が、受けていない健康な人(健常人と言いますが)に見えないものが見えるからと言ってそれが変なことでしょうか? 絶対それはないと思います。この話には、いわゆる神様が存在するか否かを信じるかどうかに左右されます。私は、研究者です。それなのに変なことを言っていると思われるでしょう。幻覚が薬の副作用で出るということは認めます。だけど、健常人に見えていないものが、見えている人にとってすべてが存在していないものなのでしょう。

 脳に作用する薬剤治療を受けている人が、受けていない健康な人(健常人と言いますが)に見えないものが見えるからと言ってそれが変なことでしょうか? 絶対それはないと思います。この話には、いわゆる神様が存在するか否かを信じるかどうかに左右されます。私は、研究者です。それなのに変なことを言っていると思われるでしょう。幻覚が薬の副作用で出るということは認めます。だけど、健常人に見えていないものが、見えている人にとってすべてが存在していないものなのでしょう。

 幻覚によって人が見えるというのは、本当に薬の副作用で見えないものが見えてしまうのか、その人(例えば、霊)が本当にそこにいるのかということだと思います。以下に二つの私の体験談を書ききます。

 経験その1:私は20年近く前に部下のIさんを交通事故で失いました。それから約5年後にパートで仕事を手伝って下さる方が同じ部屋で勁務するようになりました。その方は自他ともに認める「霊が見える」という方でした。その人がいうには、あの部屋からある人がせわしく出てきて、玄関から外に行ってしまったというのです。その人の生別は年頃、服装を問うと、年齢、背丈から体つき、当特履いていた靴(スにーカー)の色まで、Iさんにそっくりでした。Iさんはスニーカーばかり履いていたので。 出てきたその部屋もIさんがだけが特によく使っていた部屋でした。パートで入ってきたばかりの人なのでIさんを知るはずもありません。「こんな人があわただしくたった今、ここから外に出て行った」というのです。その方は病院に行くとたくさんの人が廊下を歩いているのが見えるそうです。そういえば、宝くじの当選券が光って見えるという人もいました。それは女房の知り合いで、本当に当たってしまうので、ある方に相談したら、そのうち不幸になるので止めた方がいいと言われて買わないようにしているのだそうです。(私なら絶対買ってっしまうんだけど.....) 重い話ばかりだと疲れますからね。

 経験その2:私の30代はとても忙しく、外国にもよく行っていました。医療援助の調査が目的でした。 発途上国では貧困による若年層の感染症による死亡率が非常に高いのです。特に乳幼児や小児です。そのある途上国に行ったときの話です。日本人のボランティアの方が病院で働いてらっしゃいました。その人に案内して頂いて病院の施設を見学させて頂き、それぞれの場所で写冥をとったところ、その人の体全体に雲のような白いものが大きな同心円状に幾つもその人を覆うように映っていたのです。それは、その人の場所だけに映っていました。次の日 、その人に別な場所でお会いして記念写真を撮りましたが、そこには映っていませんでした。その病院は小児科が主体で、毎日小さい子供が亡くなっている場所でした。その写真は職場の引き出しにしまっています。でも、私の言いたいことはお分かりかと思います。たぶん、その方は多くの子供たちが感染症から守ってきたのでしょう。その雲みたいなのは大小様々でした。今のデジカメを使えばどういう風に映るのでしょう?当時は銀塩でしたから。

 自分を含めて、パーキンソン病と関連脳疾患に苦しんでいる方々の心情を察して、神経関連の病気は持別なものではないということ。もしかしたら我々には特別な能力があるのではないか(極論ですが)ということを逆にいい意味で感じて欲しいと思うのです。

デジタル化

 音も写真(画像)もいわゆる五感で感じている情報をいかにデータとして保存して、共有していくかということになります。というと何を言っているのこの人??ということになりますが、アナログ時代から音源をカセットテープ、写真はプリント、または、ネガ、ポジフィルムで保存、なんていうことをやってきた人間にとってデジタル化の時代にはついていけないところが多くあります。仕事をする場合でもです。音源と写真やビデオといった画像データを比較すると、データを「波」形という形でパソコンで処理して保管するという似たような作業を伴っています。音と画像、全く違うものとして感じているかもしれませんが、私たち人間が感じるその他、味覚、臭覚も含めて感覚神経と専門的にはいうのだけど、その受け取った情報を脳で感じている訳です。

 ワープロ専用機で文字を入力してフロッピーディスクに保存し、印刷した時、素晴らしいことが出来るようになったものだと感心していたのはそう遠くない昔の話。それからというもの、フォートランというコンピュータ言語があり、DOSにはIBM−DOSとMS-DOSの二種類があってディレクトリとパスを通しておかないと日本語変換ができないとか、AT互換機でグラフィックボードはwindows3.1上で256色XGA表示可能であるなんて言っているうちはよかったけれど、最近は人間の方が振り回されている感じで。そりゃメモリが1MBで1万円の時代、しかし、自作でデスクトップを組み上げることが出来た時代、しかも音源を再生できるのも革新的と感じていた頃、MACはいいなあ、音が再生できるんだ、とあこがれを持っていたのだけど高価で手がでず、Windows派になってしまって今に至っています。憧れのE社のカラー液晶ラップトップパソコンが100万円もする時代でしたから、当時を思うと隔世の感があります。

 だから、そんな時代を「親方日の丸」の感覚で組織で生き抜いてきた人間が、会社の中で上層部に立ち、若手を育てる立場になったとき、某銀行のオンラインシステム障害なんてことが起きてしまうんですよ、とは言いすぎですかね。

天文学

 芸術とは直接関係のない話ですが・・・・・。音楽という芸術を志す者、自然科学に興味を持っても不思議ではないとは思います。古代ギリシャ時代のピタゴラスという人の名前をご存知の方も多いと思います。哲学者・音楽家・天文学者ですね。音楽では、ピタゴラス音階というのが有名です。

 音階とか和声を考えると、ちょっと理屈っぽい話ですが、ギターは面白い楽器です。理論的に作られているようにみえて、そうでないところもある。弦の長さの半分のところである中央部分を左手の指で押さえて、つまり、弦長が半分になる部分、具体的には12番目のフレットを押さえて、右手の指ではじくと元の音より一オクターブ高い音がでます。感覚的に理解できますね。そして、通常は6本絃がありますが、それぞれの調弦をどう行うかで、楽器の鳴り方も大きく違ってきます。木のネックに金属製のフレットが打ち込まれていますが、この場所は理論的に考えると「平均律」に従って決められた場所であって「純正律」に合わせて作ると大変なことに・・・?実際には純正律で作ることは不可能ですけどね。音楽の可能性を純正律のみで考えると限界があって、天才バッハの平均律クラヴィ―ア曲集が生まれたのも、音楽史を考えると、非常に意味のあることなのでしょう。一つ一つの音を別々に調律したピアノなど鍵盤楽器と弦楽器であるギターは根本的に違います。ただ、フレットを加えることで平均律的要素を取り入れているような感じがします。でも完全ではない。私のような不完全でいい加減な性格を持ち合わせている人間にぴったり合っているのかもしれません。

 話題を元に戻して、天文学のお話です。

 天文現象でいう「食」とは、英語では、ECLIPSEと言います。語源をみると、ギリシャ語の天体の消滅ekleipsisからきていて、いなくなるekleipoと、ことsisというふたつの意味からできています。いわゆる「食べる」ということを連想させる、FOODとかDIETではありませんが、太陽や月、恒星・惑星が隠される様を、まるで食べられるかのようにみえる、として表現した言葉としてぴったりです。

 日食を自分の眼で観察するということは、物心ついた小学生の頃からの夢でした。しかし、身体全体で変化を感じる現象だとは思っていませんでした。

 日食というのはSOLAR ECLIPSEといって太陽が月によって覆われ、太陽が欠けて見えること、あるいは全く見えなくなったりする現象のことです。月食LUNAR ECLIPSEは、通常、太陽の光を反射して光っている月に対して、地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことです。月食は日食に比べて起こる確率が高くてなじみのある現象です。

 これまで、部分的に太陽が欠けて見える部分食は何度か見たことがありますが、全部が覆われる日食は見たことはありませんでした。太陽全体が覆われると皆既日食、円の外周が残るように一部を隠し切れない場合が金環日食、若しくは金環食として名前がつけられています。太陽の光は強いので、金環食では皆既食でみられる太陽から噴き出すコロナが見えないとは聞いていました。部分食は、アメリカにいたころも一度見たことがあります。1991年7月だったのを記憶しています。その時、皆既日食がみられたのはメキシコでしたので、アメリカでも南部のルイジアナは、同じアメリカでも北部よりかなり欠け方が大きく、ピーク時には半分以上欠けていたように思いました。ルイジアナは暑いところですから、日中に日食があったことでもあり、半分も欠けると、あたりが暗く急に涼しくなり、そこは独特のバーユーと呼ばれるスワンプ(湖沼地帯)や森林が多いルイジアナのこと、自然界に生息している動物が鳴き出したのをはっきり覚えています。異様な雰囲気でした。天文学の知識もない昔の人が、この場に遭遇すると不吉な天変地異の現象ととらえても不思議ではないですね。

 東京の金環食は朝から始まって午前中には終わっていましたので、そういった環境の変化はあまり感じませんでした。若干暗くなったかな、程度でした。だから、デジカメで撮影していても、ああ撮れるじゃん的な感覚でした。これら連続写真の記録は一般的な天文雑誌にあるような表現方法でお見せしていますが、詳細なデータは割愛しました。元ファイルをみれば、いわゆるタイムスタンプを見ればわかります。

 地方から上京して、小学校のころから読んでいた(正確にはみていた)、百科事典の第一巻「宇宙」の中に、日本でみられるこれからの日食の中で、西暦2000年を過ぎて東京で金環食を見ることが出来るとあったので、それほど先の話、東京か、一生見ることが出来ないだろうな、という他人事な感覚でした。この頃からです。私の天文に関する興味がわいてきたのは。また、忘れもしない、月に人類が到達した時に、あの月面からのテレビ生中継を家でみていたこと、それより5年さかのぼると、前回の東京オリンピック開会式。小学校一年生の時、学校の図書室で1台の小さいテレビを前にしてみんなと一緒に生中継で見ていたことを思い出しました。幼少期のなつかしい想い出ですね。

 時は日本の高度成長期で、私の小学校・中学校時代の想い出の中で、もう一つ大きなイベントがありました。それは大阪万博(1970年開催)。アポロ計画で月に人類が到達して(1969年)、持ち帰った「月の石」なるものが展示されるというので、一生に一度あるかないかのチャンスだという訳で、行きました。アメリカ館の前で、待ち時間2時間以上の長蛇の列でしたので、春はあきらめ、夏休みで行ったときに初めて見ました(私は幸運にも春と夏二回、万博に行くことが出来ましたので)。石といっても本当にただのちっぽけな石ですが、スポットライトを浴びて仰々しく輝いていたのをみて、この石を手に入れるためにどれだけの人が犠牲になり、計りしえない大金がつぎ込まれてきたんだろう、と思いました。

 この展示も、大気圏突入で底が黒焦げになったアポロ11号司令船の展示と共に二度とは見ることないだろうと思っていましたが20年後の1990年にヒューストンのNASA博物館で再会したのでした。

アルバムタイトル 「ホームコンサート2002、オールドの響き」

2021年の独り言

 MG氏によるレコーディングが3回目(1992年)に突入いたしました。夏は暑くて大変ですが、指が最初からよく動くというメリットがあります。私の大好きなグールドの全集を偶然タワーレコードで見つけて衝動買いをしました。CD DVDが50枚弱ある超豪華版で、購入してこれまた10年は経過しているような気がします。演奏を説明したブックレットが付いていました。グールドの写真がたくさん載っていて、指先の部分をカットした手袋が無造作にピアノの上に置かれていたのを思い出しました。あの繊細なタッチで弾くために、指先の感覚が大事なんだと想像しています。話が横道にそれましたが、ここで演奏した「アルハンブラの想い出」を注意深く聴いていただきたいのです。出だしからトレモロの乱れがなく、若干ゆっくりとしたペースで探りながら弾いているようにも感じます。トレモロの調子が良ければバロックも弾きやすい、と思っています(この話はまたの機会に)。

 この時は「アルハンブラの思い出」を弾くつもりはありませんでしたから、トレモロの状態がどんな感じか、自分の耳でも確認していたのだと思います。そして、コーダで弾き終えてMG氏は「フウ」とため息をついていました。私は、その時はあまり気にもとめませんでしたが、後で思うとああそういうことなんだと気づかされました。もし自分がギターを聴く立場でいたら、その時、偶然、とても美しい音楽が生で奏でられているのをすぐそばで聞いた時、至福の喜びを感じていたのではと思いました。理想形は、自分で思ったように楽器がコントロールできる状態であれば、聴きながら弾いて楽しむという一石二鳥が味わえるのでは、とも思います。

 と書くと自己陶酔しているだけなのかと勘違いされるかもしれませんが、そうではありません。長い年月をかけて、楽器は弾きこまれ熟成した音を発し、それに演奏そのものも一体となっていい音楽が生まれ、かつ、レコーディングしながら自分のイメージと実際の演奏とのギャップを感じながら修正が繰り返されていく・・。そのなかで、素晴らしいハーモニーができる、その方向性は人により千差万別なのでは、とこのごろ思うようになりました。でもそもそも聴衆と演奏者の間で楽器を通して聞こえる音はどうなっているだろう、絶対同じ音が聞こえているわけはない、ということで永遠の命題、ということにします。あまり難しく考えないでいきましょう。

 レコーディングの話に戻ります。当初、今回あたりから何回かtakeを取って、一番ミスのない演奏を基準にしてフレーズごとに「切り貼り」をしていくという計画でしたが、あまりに切り貼りをすると、全体が不自然になります。一般に販売されている昔で言えば「レコード」、今でいえばCDという媒体でしょうか。切り貼りをすれば、弦楽器の場合それが露骨に分かる場合があります。それほど遠くない過去の話ですが、以下のようなことがありました。当時、売り出し中の某チェリストがバッハCD全集を出しました。それがその前のアルバムが結構よかったものだから、期待して買って聴き始めたところ、ある個所で妙なことに気づいたのです。それは、BWV995のプレストに入ってからのことでした。しばらくはいい調子でしたが、ある所から暫く、全体、若しくは特定の弦のチューニングが上がったような感じで、しばらくしてまた戻っているのでした。ということはこれから先は想像でしかありませんが、録音した時間が違っていて、いくつかのtakeから良いところのフレーズを繋げたのではないかと。今はパソコンの性能がよくなっていますから、個人レベルでも録音した音源をいじれる時代です。この編集に当人はどの程度か関わっていたのでしょうか?でも私は、ここまで露骨に分かってしまうと幻滅してしまってその後を聴く気になりませんでした。

 ギターという楽器は繊細でちょっとしたミスをしても大きな傷となってしまいます。それをどうやって避けるか?やっぱり、一生懸命、何千回、何万回と練習して体が覚えるまで練習するしかないのかな。それから、自分に合った楽器の選択。練習量が多すぎて指が故障してしまっては万事休す。ある面では演奏はスポーツ的な要素がありますから、という風に現段階では感じています。これからまた、感覚が変わるかもしれません。話をまた元に戻します。当初、3回ずつのtakeの予定が、コンサートの時のような一回ずつの演奏になってしまいました。だから、CDのタイトルを家で録音しても「ホームコンサート」にしたわけです。私はこの日、勢いに任せてどんどん弾いていったような記憶がありますが、どの曲をどんな順番で弾いて、どこが良かったか悪かったかなどすっかり忘れていました。それから、20年、久しぶりに聴きました。当初、全く別人、若い人の演奏のような印象でしたが、何回も聴いているうちに当時のことを次第に思い出してきました。

 勢いで弾いていて粗削りで、バッハがそうですが、19世紀のロマン派の音楽全盛期に製作された小ぶりなギターを使って二声や三声にも分かれたバッハを弾こうなんていうことにそもそも無理があるのですが、意外と面白いのです。こうやって当時の録音を聴いていると、悪くないねえ、と我ながら自画自賛(自分がそう思っているだけですから、自分でひどいと判定した音源をここでは披露できません)。ギターは小さなオーケストラ、と称されて久しいですが、音量云々ではなく、小さいけどこの中に素晴らしい世界を作ることができます。バロックの曲ですからリュートで弾いたらと思われるかもしれませんが、やっぱりギターがいいのではないかと思います。対位法で書かれた音楽のそれぞれの声部がきちんと聴こえるように音がぼやけないようにするためには、響きが良すぎるリュートよりもギターの方がぴったりあうと思うのは私だけでしょうか?曲にもよりますけど。

 偶然、今回、BWV995とBWV996のプレスト付きプレリュードを同時に録音していますので比較するとよくわかります。BWV995はチェロでもよく弾かれますので、そのイメージとBWV996のイメージは全く異なります。BWV996は明らかに鍵盤楽器用に作曲されているということが分かります。BWV995のプレストはあまり早くても遅くても乗り切れないところがありますが、私はうねるような旋律があちこちにあるという感覚です。まあ、ここら辺は解釈によって変わるのでしょう。音楽は理屈ではない、楽しまないと。それが最後に弾いたジーグに現れています。

 記 経堂、某社長宅 2020年12月26日


ファンレター



アルバムタイトル 「シャコンヌ」

 シャコンヌとは音楽の形式を指します。しかし、シャコンヌといえばバッハのこの曲を指すほど有名な曲です。この曲は過去に、一回だけ、大学院生の時に弾きました。田舎から出てきて筑波大学に入学して間もなく知ったので、かれこれ7年くらい弾き始めてからステージに上げました。有名なセゴビア編とかピアノのプゾーニ版を思わせるイエペス版などがありますが、私は、よりシンプルな、阿部保夫編を用いました。当時は怖いもの知らずというか、何でも弾いてやるという意識が強かったのだと思います。出だしから、もう、100%の力を出し切って最後まで一心不乱に弾いて、最後の4弦のハイポジションで出す、単音の「ミ」の音で、初めて、ここでしくじらないようにと、左手3の指でしっかり押さえて我に返ったのを今でも思い出します。

 終わった後で、放心状態になり、録音を聴くのが怖くてしばらく聴くことができませんでした。ただ、40年近く前のことではありますが、ギター部の後輩であった、今は亡きN君から、「福富さん、よかったですよ」と、演奏直後に声をかけられたのを今でも覚えています。

 大学院博士過程を修了して東京に来る前に、後輩から、録音カセットテープをもらって、今は笑って、第三者的に聴けますが、こいつは凄いなと思える演奏だったと思います。そこで、私の大好きなバッハの他の曲と一緒にして、組曲第四番のプレリュード(1991年、アメリカで録音して、当時のボスであったK博士(数年前に他界)にラジカセで録音して差し上げた)と共に、故人を偲び、このアルバムのタイトルとさせていただきました。

ホームページ開設と私の音源との関係

 廣瀬さんから私の音源を使用して、筑波大学旧ギター部(今は「ギタマン部」なのでしょうか)OBOG会有志によるホームページを立ち上げたいとの話が、一年以上前からありました。私のプロフィール等、自分のプライベートに関することを公にすることに、最初は抵抗感がありました。しかし、よくよく考えてみたら、それほど私の音楽を気に入って頂けるとしたら、演奏家として私が存在する意味があるのだろうと、勝手に解釈して、誠に有難いことで、これまで録音してきた音源を皆さんとシェアしたいと思うようになってきました。

 今はネット社会、YouTubeで何でも自己表現が可能で、いろいろな人に直接自己表現ができる時代です。いわゆるプロと呼ばれる方々のよどみない演奏を聴いていると、「うまいなあ」と感じることがよくあります。でも、それは、熱しやすく冷めやすい私の感覚では一過性の感動でしかないことがほとんどです。また、本当はライブで聴かせるのが一番でしょうが、音という「芸術」は、残念ながら、絵画のようにいつも見ることはできません。しかしながら、過去の著名な音楽家の演奏は今でも「レコード」という形で私たちは聴くことができるのですが、本当に素晴らしいと感じた演奏はごく僅かです。

 ライブでも聴いてこれは素晴らしいと心の琴線に触れたのはあまりありませんが、一例を挙げるとすれば、イムジチが「四季」を演奏した時に、最初の出だしの一フレーズを聴いたときの弦楽器の音でした。たぶん、あの音はストラディバリだったのでしょう。あの感動は40年たった今でも忘れられません。あれをレコードで表現することは、録音機材から再生機に至るまでどんな技術を使っても今の世の中では不可能なことでしょう。

 さて、私はどうして、自分の音楽を人に聴かせたいのか、ということを考えてみたとき、ふと疑問が生じました。自分の本職はサイエンスに関わることやっていて、業績を上げるということ、つまり、誰も発見していない新発見をするということが自分の価値を決めるとしたら、それがいずれは人々の幸福につながるものであればいいのだろうと、自己満足かもしれませんがそう思っています。私の自己表現として音楽もそうかもしれないと、この頃、よく思うようになりました。人生にはいろいろなことが起きます。

その中で言えることは、人は一人で生きている訳ではないということ。皆様にお世話になりっぱなしです。病気になって今は弾けないけど、出会った方々に、これまで録音してきた音源を聴いてもらうと、「ひどい録音で聴きたくない」という人はいませんでした。「百害あって一利なし」ではなかったようです。私の演奏を「害はないけど利もない」的な感覚としてとらえて頂ければ、いわゆる「癒しの世界」に近く、決して押しつけがましくなく、私の意図に沿ったものとなると思い、また、そうなるべき存在だと期待しています。


映画「マチネの終わりに」

 これまでの音源を聴いてお分かりかと思いますが、私の場合は、とことん、ギターという音色と音楽性を追及した結果、現在のスタイルになっています。ですから、「マチネの終わりに」を映画館で最終日に見て、まあ、いいとは思いましたが、主演の二人の会話がどうも甘ったるく、現実的にはいろいろな原因でギターをやめていく人を見ていますので、こんなのはあり得ない話だと思ってみていました。

 一方、師匠役の古谷の雰囲気は大好きでした。お酒が好きで、女性好き、スペインの路上で現地の人たちと踊りながら、お酒の酔いは、女性を美しく見せるなどといっている下りはよかった。せっかく、「バッハはいい」とフィアンセの彼女が言って、彼も作曲家の意図をそのまま演奏するだけと言っているのだから、バッハの代表作である、「●●●●●●」でもつかえばよかったのに、と思いました。これまた、セゴビアが初演した時はバッハを冒涜するのかという意見もあったそうですから、無難な線で何とかの「caxxxxxxx」は選曲されたのでしょうか?

 でも、この曲が主人公の持ち曲としてこれを最後に持ってきていますが、せっかくここまで盛り上げておいてもっと格調高い選曲があっただろうに、とか。それこそ、バリオスの曲を使うのなら、「ショーロ」を弾くところは「森に夢みる」とか。日本を代表するギタリストの選曲ですから、なにもいいませんが、私がもし選曲をまかされたのなら(?) 、もっと違うものになっていたでしょう。なんてね。

 結局、アマゾンで売り出したBRやDVDは、いくら安いといっても、注文する気にはなりませんでした。はい。

筑波大学ギター・マンドリン部 OB・OG会

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